ふじみクリニック

Y青年と握り飯(3)

2024.11.24


[2024年11月 清瀬市 中里]

A心理士とYさんの語り(2)

先回の面接から半年の間に再び転職したこと、しかしそこでも他人の目が気になって自分がロポットのようにぎこちなく動いているのが意識され、息を吸うのも苦しいとYさんは訴えました。げっそりとやせたYさんに、A君は「一時期、生活保護を受けてでも、ゆっくり休養することを考えてみてもよいのではないか」と助言すると、Yさんは顔を上げて「親や妹に連絡は行くのでしょうか」と聞き返したといいます。

それからぽつぽつと言葉が重なり、「妹には取り返しのつかないことをした」、「親はあてにしていないけれど、妹に迷惑をかけることは許されない」と繰り返しました。「あなたも 妹さんも、ご両親の適切な保護を受けられなかったという点では同じ立場だったのではないですか」と問いかけると、Yさんはまたも、顔をくしゃくしゃにして嗚咽しはじめました。

A君は腹を決めて、けれどもなるべくゆっくりと、Yさんの過去を問い直していきました。今度は、Yさんはしゃくりあげながらも彼の問いかけに何とか答えようとしました。その日の面接でYさんが到達したのは、自分にはどうしても拭いきれない罪の意識があり、それは次のような記憶に根ざしている、ということでした。

― 子ども心にも家庭の破綻を予惑させる両親の長引く軋礫と口論のあと、まずYさんの母が家を出、数日して父が「出かけてくる」といい残したまま姿を消しました。残された兄妹は冷蔵庫に残った食べ物を分け合いましたが、すぐに底を尽き、空腹を抱えた Yさんは、近所のスーパーで万引きをしてさらに数日をしのぎました。学校は休まず、何日も風呂に入らず着替えもしていなかったため、からだから臭いが漂いはじめたことに気づいた担任の先生がYさんに事情を問い質し、両親の失踪がやっと人に知られることになったのです。

その日、担任教師は児童相談所にY兄妹の処遇を依頼しながら、家庭科調理室で飯を炊き、兄妹のために大きな握り飯を四つこしらえてくれました。

「二つは今日の夕食に、あと二つは明日の朝ご飯に。明日になったら役所の人がきてくれるから*)、今晩だけは二人で我慢するんだよ。困ったら先生のところに電話してきなさい。」といい含めて、電話番号のメモと一緒に握り飯の入った紙袋を手渡してくれたということです。
Yさんは何度もうなずいて小走りに妹の待つ家へ向かいましたが、途中で空腹に耐えかねて、街はずれの道端に座り込み、一つだけという気持ちで袋から出した握り飯をほおばりました。ところがいったん食べはじめると止まらなくなって、夢中で食べ続け、気がつくと握り飯は一つしか残っていませんでした。Yさんはしばらく呆然となってしまいましたが、自分の帰宅を待ち、自分以上に空腹であるに違いない妹の顔が思い浮かぶと、いても立ってもいられなくなり、一つ残った貴重な握り飯を、あろうことかドプに投げ捨ててしまったのです。

*) 今日ならば,もちろん児相職員はその日のうちに駆けつけてくれます。

家に着くと、Yさんは下を向いたまま妹に、「明日、役所の人がきてくれるって」とだけ伝え、布団に潜り込みました。まんじりともしないまま一夜が過ぎ、翌朝八時過ぎに訪れた児相の職員にYさんは泣きながらむしゃぶりついていきました。大人たちに慰めの言葉を投げかけられながら、「違うの、自分は悪人。自分は悪人」と何度も心のなかで叫んでいた、とYさんは語りました。

そして「役所の人がきたとき大泣きしたのは、握り飯を一人で食べたことを隠したかったからです。ちゃんと計算してたんです」、「前回の面接で、先生がちゃんとご飯食べてますかと聞いてくれたとき、昔のことを急に思い出してしまったんです」と述べました。そして「妹はいまでも知らないんです」、Yさんはぽつりとそうつけ加えました。