2024.11.22
[2024年11月 清瀬市 上清戸]
医師になってまだ経験も浅い頃のある日のことです。
澄みわたった空は底抜けに高く、明るく、陽を浴びたすべてのものが眩しく輝いている晩秋の一日でした。午後から冷たい木枯らしが吹きすさび、病棟の仕事が一段落して医局へと戻る途中の半開放の渡り廊下には、たくさんの枯葉が吹き溜まり、からからと音を立てて小さな渦巻を作っていました。医局に着いて大型のコーヒーメーカーに残っていた煮詰まった珈琲をカップに入れて飲もうとした矢先、ドアを開けて同僚の臨床心理士A君が部屋に入ってきました。年の近い友人でもあったその心理士は、ふだんから穏やかで口数の少ない男でしたが、どこか物憂げな表情をしています。私は、「どうしたの?」とあえては聞かないまま、最後の黒い液体をもう一つのカップに注ぎ、「たぶんすごく苦いけど」と彼の胸元に差し出しました。
「ありがとう」と言いながらA君はカップを受け取り、飾り気のない窓際のソファに腰を下ろしました。カップを持ったまま口もつけずに、A君は夕闇と静寂が降りてきた窓の外をぼんやり見ています。しばらく経って、「あのさ、ちょっと聞いてくれるかい。B先生から頼まれたクライアントのことなんだけど。」と口を開きました。
もちろん、こちらが疲れていたとしても、耳を傾けないという法はありません。友人ですし、お互い仕事の中で聞き知った様々の病の症状や悩み事、どんなふうに応えてよいかわからない沢山の問題について、問わず語りに聴いてくれる同僚や先輩あっての日々の仕事だからです。
今回は、四半世紀以上前にこの心理士A君から聴いたことから連想した、ある青年の物語をお話したいと思います。(もっとも、遠い記憶の細部はどうしたって想いだせはしないので、ほとんどは筆者のフィクションとなっています。4回一挙連載。)